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受講料を払わずにこんなに勉強させて頂けるのはとてもありがたいです。いつもありがとうございます。
スーツさんは説明が丁寧で上手なので鉄道のことが何もわからない僕でもわかりやすく見れます。
今の下関駅は関門トンネル開通時に移転してきました。その時に漁港や貨物駅も新設されてます。それまでは海で関門トンネル掘削当時に埋め立てされて出来た土地に現、下関駅はあります。移転前の下関駅は今の下関警察署の所にあったようで、そこから関門連絡船や釜山への船が出ていたと思います。デルタ線があったかどうかは、下関駅が軍事機密とかの理由で写真や配線図等がかなり少なめで判りません。
カラーペンを使っての説明分かりやすくて良かったですし話も面白かったです。サムネの絵も良いですね!
一度24時間テレビの枠を全て与えてみたい
いろいろ凄そう笑
名鉄もパノラマカーの先頭車の向きを変えるために枇杷島分岐点のデルタ線を使ったそうです。
某Jk大好き熊さん……
ホワイトボードのごちゃごちゃをしっかりわかりやすく説明するのは凄い。僕には出来ない…
塚口駅には長い側線が昔からあったので、折り返しも問題なくできていたと思います。青森行き特急白鳥も塚口で折り返していたことがありました。そのためなのかどうか、福知山線非電化の時代も尼崎−塚口間は電化されていました。
こうして改めて見ると日本には結構デルタ線が存在していますね。
蛇窪信号場、電車でGO!でスーツをブチギレさせたスポットとしても知られる
「塚本」をそのまま「尼崎」に書き替えると辻褄があいます!尼崎方面から北方貨物線に入る線路は塚本を通過もかすりもしませんので。
みぞっち 一応塚本場内扱いですが、実際かすらないですもんね。
@@sanjohtrafficrailroads5411 あそこ場内なんだ! 初耳。何でかって? かすりもしないから何かの信号場だと思ってたから。
みぞっち 信号場として独立してても不思議じゃないレベルで離れてますもんね。ホンマ謎です。
1:45『特急を作ったんですけども』
真ん中はグリーンだから、2等車ですかね
サムネイルも可愛い…スーツさんの解説動画は最後まで聞きたくなります…
解除後の初乗りが気になる。
最近でも編成の転向でデルタ線区間がよく使われますねカシオペアのE26が編成転向するのに、両端に機関車つけて常磐線と武蔵野線が交わるところのデルタ線使うのは結構有名ですあまり知られていない事例としては、京浜東北線のE233系が大宮工場に入場する際に、山手貨物線を経由して工場に行くわけですが、品川回りで行かないといけないため、編成の向きが逆になってしまうという問題がありますそこで大宮に到着すると、そのまま武蔵野線の武蔵浦和と西浦和の間にあるデルタ線を使って編成転向するそうです最近では総武線で使っていたE231系を大宮工場で武蔵野線用に改造するときに、西国分寺と新小平の間にある国立方面への短絡線から一旦東浦和までいき、そこから大宮方面に行って編成転向した事例がありますね
「車両の進行方向が決まっていて、面倒な折り返しが必要」三角ではないものの、名古屋近郊に何かそういうのがあった気がします。
勝田線の廃線跡は結構わかりやすくてオススメ鉄道公園にはホームの跡なんかもあるので、一度来てみてくださいね!
今度、見に行く予定です!コロナで延びてたのでそろそろ行ってもいいのかな笑
10:39塚口は今でも折り返し設備と電留線があって朝の普通と昼の区間快速が始発着しています。なお、北方貨物線がJR神戸線から分岐するのは塚本駅を過ぎて地下に加島駅がある所の直前です。そのため、大阪駅以東で営業するキハ85などが塚本駅を回送として通過します。
初代ブルートレインの20系客車には三等座席車(普通座席車)もあったけど、そっちは回転式座席だったので単純な折り返しで済むようななったのは運転ダイヤとか作業とかが楽になったようですね。
めんどくさくて非効率な分職員の雇用が生まれてた、逆に言えばその分の人件費が国鉄には負担だったわけですよね
これは面白い!確かに機関車の折り返しって当然やってた筈なのに今まで考えたこともなかった。
スーツさんの動画を観るようになって1年経ったら、駅名も用語も自分の知識が増えていてとても面白く観ることができました。😆💕✨
スーツさんの動画を見ると本当に勉強になるなぁ🎵😆
とても分かりやすい説明でした。素晴らしい知識ですね。本当に何でも知っているようですね。
1:47 ボールペンとキャップの使い方が天才過ぎると思ったら両方とも書けるタイプだった
ボールペンではないような・・・
ペンのやつわかりやすいなw
なんで東京と品川の間に東シナ海があんだろうと思ってしまいました。すみません。
面白いコトをおっしゃいますね🎵😂
私は南船橋を南シナ海と言っていたことを思い出しました
月額取れそうなくらいありがたい説明
遠隔授業笑
右側から ぬっ と出てくる スーツさんが いい。
Yユースケ????「ぬっ!?」
東京駅とかで忙しそうに座席を回してる人たちを見てるとJRじゃないけど京急2100形とか京王新5000系みたいに自動で座席の向きを変えられるって便利だなって思う。
京阪も、阪急京都線もあれは自動転換。京阪なんか淀屋橋と出町は人降ろして、ドア閉めし、転換し、少し動いてドア開してたのよね。
鉄道の歴史において山口県が、結構出てきますね!
デルタ線を研究してみると結構面白そう。
青森のあたりとかなんであんなふうになってんだろって思った事あるけどこういう理由もあるのかぁ
塚口駅の所属である福知山線は長らく単線非電化でしたが、つばめやはとの機回しのために全線電化の25年前から電化された歴史があります。今でも塚口駅の脇には電留線が3本ほどありますね。
そこら辺の視聴者 直通快速が尼崎発着だった時代には塚口で折り返して宮原に入出庫したり塚口に留置でした。
塚本駅の位置が間違っています、この位置は尼崎です。戦前の燕号は明石操車場で整備していたらしいです。
転換クロスシートとか回転リクライニングシートって、画期的だったのね
転換シートは明治時代からありましたよ。鉄道博物館の隅の方に実物が展示していますね。
@@くま吉-w5r そんな前から有ったんですね戦後の特急電車、特急気動車が最初かと思ってました
@@t3sutatra388 さん2階のコレクションギャラリーにありますので、もしよろしければご覧下さい。
海外では未だに、圧倒的に固定式シートが多いですよ。世界的にみても、日本は特別です。現在ではわかりませんが、アメリカでは、終着駅に着く前に、お客さんを乗せたまま、三角線で方向転換をしてから、終着駅に入っていました。
そもそも日本人は三半規管が弱く、進行方向を向いていないと酔う人も多いそうです。
車や飛行機や船と違って線路があるから向きを変えるのも一苦労ですね。
別にめんどくさくもない。車両内を回って一々座席を回転させるより、回送中に編成ごと回転させられるので車内作業員が不要で省人システムである。今は、車掌室のボタン操作一つで座席の転換ができるのでどうという事はないが、全車両を一々人力で座席転換させていくほうが無駄である。編成ごとひっくり返すというのは実は非常に合理的な方法だったのである。
昔、博多駅での方向転換に、博多→勝田線(廃線)→志免駅→貨物短絡線(廃線)→酒殿駅→香椎線→香椎→鹿児島線→博多駅ていうルートを使ってたらしいです。
冒頭で特急列車はほぼ全国の都道府県で見れるとか言ってるけど、JRに限ると奈良県は特急が走っていないw
臨時特急まほろば号なら希にw
近鉄がいっぱい特急を走らせてるから。。。
新大阪からおおさか東線関西本線回って名古屋行き。特急あすか、また出来ると面白い。
SLやまぐちでは展望車両最後尾関係なく普通に走っていますね。
マイテ49に乗った時は、津和野から新山口方面が最後尾になってました。
大変よく理解できました,ありがとうございます.
実はデルタ線をうまく使ってるのは武蔵野線(京葉線)説2方向に乗り入れをできるし、編成の向き直しにも使える
「24時間テレビ・愛は地球を救う」Tシャツかと思ったが何時ぞやの湘南モノレールTシャツヤレ具合から見て一日中着ているな
丹波口ではなく、二条まで行っていたとおもわれます。推進でバックに機関車付ける例は東京駅でよく見られましたね。
わかりやすい!毎度ありがとうございます!
三角線かー…これでも当時は高効率だったんですね。私は以前米原のスイッチバックで座席回転出来ず焦りました💺💦
ブルトレとか展望車のある車両興味はあるけど乗ったことがなく気になっていた話なのでとても面白かったです!
そんな簡単に特急を作ってしまうとは神か…
枇杷島、伊勢中川
こだまのデビューは、1959年ではありません。あさかぜの20系客車と同じ、そして東京タワーと同じ、1958年です。
昭和30年の東海道本線時刻表見ると不定期特急さくら号(東京〜大阪間、展望車なし。)がいます。戦前の特急さくら号は庶民特急で2,3等しかありません
固定クロスはシートピッチを詰められるっていうメリットもあったらしいですね…今でも京急2100は客が自由に転換出来ないようにしてシートピッチを8何十mmかに詰めてる…
戦前の特急(富士・桜・燕・鴎・不定期燕)の方向転換は話によると三角線を使わずに全てターンテーブル回しをやったんです。
_人人人人人人人人人_>おばけ こわくない< ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
京都の「2」の線路、かつては姫路や和歌山から嵯峨野線に直通する「嵯峨・嵐山ホリデー221」という臨時列車があり、結構乗車することが出来ていました。田端〜三河島の連絡線も「ホリデー快速ときわ鎌倉」が使っていて、乗った事あります。
2は今では七条通りの豪華な歩道橋やな。
カシオペア、旧トワイライトエクスプレスも、札幌ー岩見沢ー苫小牧で三角回しをやれば、展望個室が常に最後尾になってた。
いっそ下りは海線、上りは山線を走らせれば ・・・
いつも楽しく拝見しております。神戸行きの編成回しの件で、参考になる書籍がありますので、紹介いたします。雑喉謙氏著「神戸の鉄道-随走記-」(1981年発行)の「銀河の哀歓」という項目で、急行銀河が出来たときの回送について「神戸→鷹取→神戸→宮原/宮原→神戸→鷹取→神戸」と書かれておりました。当時、まだ複線だった鷹取駅に転車台と下りから上りに入るための立体交差があったとのことでこのルートとなったようです。これと大阪近郊の配線を活かすと編成回しもできるのではないかと思います。これからも楽しい動画期待しております。
つばめが福知山線使って三角線回ししてたの初めて知った
三角線と言えば、山陽本線英賀保駅の構内にあったみたいなんですがご存知でしょうか?全然資料がなくて何に使ってたのか分かりませんが、国土地理院の古地図で線路があったことが確認できますよ。
興味深い話で最後まで楽しんで拝聴させていただきました。デルタ線での方向転換作業は展望車とスハ44系あってこその話ですね。戦前のスハ32系時代にも展望車の為に方向転換があったし。『かもめ』も『はつかり』もスハ44系の為ですね。昔はそういう作業をいとわなかった、ということでしょうか。でも上りと下りで編成の向きが違うと荷物の扱いなどはテルハの位置が変わらないだけ大変だったでしょうね。うろ覚えですが大鉄局と東鉄局では電車の向きが異なっていたと思いますが、配置転換の際には電車でもデルタ線でひっくり返した…という話も聞いたことがあります。
お召し電車は事前に伊勢中川で向きを変えてますね。一般車両の奈良線から大阪線への転属も伊勢中川で向きを変えますね。東行きが上りの生駒山と西生きが上りの青山越で坂の向きが違うとかで。
三角線 「A列車で行こう」の古い作品では、ちょくちょくお世話になったな利用目的は違うけど
座席転換の問題もあったと思いますが、つばめ、はとは展望車(前後につないでない!)が両端になかった理由もあったんでしょうね。
わかりやすくていいですね。
昔はこんな事してたのかと思うと転換シートってそうとう画期的なものなんだなぁ…
今、神津恭介シリーズを読んでいたので、これ神津先生が乗ってた特急だなぁと思いながら観てました笑
ペンが7ハウステンボス号!!
内田百閒の随筆で読んだ一等車二等車三等車の話を図解付きで聞けて楽しかったです。
特急はるか は関西空港駅で座席が車掌さんのスイッチで自動回転します。時代が進みました
京阪8000系もやな
名鉄も空港に着くとやりますよ 他にも名鉄岐阜や、新鵜沼でもダイヤが逝っとけではない時はやってます
お京阪は先代の3000系もな。先々代の1900系は知らん。
サザンプレミアムも。
昔は手間だらけだったんですね~
すごく前の話ですよね、なんか、線路が大崎に残っていて、なんだろ、って思ってたんです、謎が解けました!!
小学校日光の修学旅行のとき蛇窪回りではなく行きも帰りも品川で折り返してました。
神奈川県民でしょうか?わたしもそれでした、なんで武蔵野貨物経由じゃないんだろって・・・。
ゆかわあきら そうです!記憶は定かではないですがもしかしたら川崎からも別の学校か乗降していたのかなと思います。ちなみに中学は新横浜⇆京都0系でした🚅
@@ぴのこ-g7f 日光臨の時は藤沢、茅ケ崎市内の小学校だけでしたので、茅ケ崎、辻堂、藤沢を出ると、品川、宇都宮のスイッチバック以外停車なかったと思います。京都のは、私は小田原からこだまの0系でした、いまのように「修学旅行」編成でなく、定期ダイヤでグリーン車に当時の女性アイドルが乗っていたようでサイン貰いに行ってた人いました。
日光の修学旅行は川崎から乗ったから、品川と宇都宮でスイッチバックしてた記憶がある。
かつてはC53やC62が活躍していた頃の特急つばめを思い出しますね🎵
入り方がすこ
おばけこわくないがかわいい
北陸新幹線が開業前後に当時のサンダーバードのグリーン車の方向を反対にする方針が取られ、わざわざ金沢から回送で大阪から北方貨物線を経由してまた金沢に帰る回送がありました。
7:20、くまモン西大井は草
サンダーバードは塚本を通過した後に北方貨物線に入るはずでは…?
そもそも北方貨物線って塚本の先から分岐しますよね
三角線は元塚本信号場、現在は運転取扱上塚本駅の構内なので間違いではないです。
@@sj032842 東西線が地下に入ったあたりから塚本駅構内だもんなww
おおぉ〜つばめ はと 平和は大阪駅から、おおさか東線(淀川貨物連絡線)の前後にデルタ線っぽい名残あったし、片町線とか大阪環状線とか使ってたのかなぁって思ってました。
カラーペンでの模式化が草
人差し指どうしたの?お大事に
ホワイトボードに未だ残るよこかるがいい意味で気になる。。。
Shin Endo 様「よこかる」なら鉄には通じますが今度は「おばけ こわくない」と書かれているんですが…「よこかる」以上に気になってしまうのですが…
なんば線尼崎で増結をしていたのですが今年ダイヤ改正で尼崎の増結をやめて最初から車両連呼してからはそのままで行けるようになりましたかホーム改造工事をしたりして大変でした芦屋ホーム改造工事ができなかったで通過駅になってしまいました
9:19間違いなく「黒塗り」に煽られますね。(実際はネイビーブルー)
こういうことに追求して解説するの楽しいです。てっきり鉄道ピクトリアルとか熟読してるのかと思ってましたけど、ネット情報だけでここまで解説できるんですね。凄いわ。だから、間違いがあるかもと言ってるんだ。誠実だね。車輌や旅についても、鉄道ジャーナルとか鉄道ファン読み尽くしてるのかと思ってた。効率よく、やっぱ頭いーねー。私は雑誌は立ち見するけど、文字多過ぎて買ったことないです。とほほ。
その黄色いシャツはどこで手に入りますか?
湘南モノレールのやつです
大船駅か湘南江の島駅の売店で売ってる説。
この内容、難しいのかな。マニアでないので基準がわかりませんが、私はさくっと見せていただきましたけどね。車両基地および操車場の役割がよくわかりますたわ。洗車や点検だけではないですね。昭和の終わりに、近所のある場所で、よくDD51が単独で右往左往してました。当時はDD51の存在が日常だったけど、今では思い出となりました。尾久駅と田端駅と三河島駅が走行可能って、面白いですね。蛇窪も探してみたいですね。
ななつ星もひとつの運行が終わって博多駅に戻ると前後逆編成になるので運行休日に大回りで編成の向きを入れ替えて次の運行に備えてなかったですか?
リニアいいですね〜
1:44「ちょうどここにあのー、特急を作ったんですけども」
JR九州の三角線かと思った...
それは「みすみせん」😄
だめだ、おばけ こわくない が気になってしまう...
JRではなく国鉄塚口駅、故郷で懐かしい。駅のホーム以外に沢山の側線がありましたよ。国鉄伊丹駅はホームしかなかったような。当時、伊丹駅に石炭つんであったからSL走ってたのかな。
三菱電機のでかい工場があるし、森永の工場もあるからなぁ。
スーツ「ほとんど全ての都道府県で特急列車が運行されている」沖縄県は当たり前だが広島県も在来線特急は現在運転されてないはず…
奈良県ェ…
蒸気機関車の前後を入れ替える回転台を備えている駅が有りますが、大都市圏では無くなったでしょうか。
特別急行ならでのサーヴィスですね。戦前は転車台を使っていたと聞きますが、詳細は分かりません。EF55の為に転車台上に架線があった話しも聞きますが、やはり戦前中の資料を探すのは大変です。
青森にも、デルタ線ありますね
なんか塚本の位置が違うなと思ったら、みんな指摘してた笑笑
受講料を払わずにこんなに勉強させて頂けるのはとてもありがたいです。いつもありがとうございます。
スーツさんは説明が丁寧で上手なので鉄道のことが何もわからない僕でもわかりやすく見れます。
今の下関駅は関門トンネル開通時に移転してきました。その時に漁港や貨物駅も新設されてます。それまでは海で関門トンネル掘削当時に埋め立てされて出来た土地に現、下関駅はあります。移転前の下関駅は今の下関警察署の所にあったようで、そこから
関門連絡船や釜山への船が出ていたと思います。デルタ線があったかどうかは、下関駅が軍事機密とかの理由で写真や配線図等がかなり少なめで判りません。
カラーペンを使っての説明
分かりやすくて良かったですし
話も面白かったです。
サムネの絵も良いですね!
一度24時間テレビの枠を全て与えてみたい
いろいろ凄そう笑
名鉄もパノラマカーの先頭車の向きを変えるために枇杷島分岐点のデルタ線を使ったそうです。
某Jk大好き熊さん……
ホワイトボードのごちゃごちゃをしっかりわかりやすく説明するのは凄い。
僕には出来ない…
塚口駅には長い側線が昔からあったので、折り返しも問題なくできていたと思います。
青森行き特急白鳥も塚口で折り返していたことがありました。
そのためなのかどうか、福知山線非電化の時代も尼崎−塚口間は電化されていました。
こうして改めて見ると日本には結構デルタ線が存在していますね。
蛇窪信号場、電車でGO!でスーツをブチギレさせたスポットとしても知られる
「塚本」をそのまま「尼崎」に書き替えると辻褄があいます!
尼崎方面から北方貨物線に入る線路は塚本を通過もかすりもしませんので。
みぞっち 一応塚本場内扱いですが、実際かすらないですもんね。
@@sanjohtrafficrailroads5411 あそこ場内なんだ! 初耳。何でかって? かすりもしないから何かの信号場だと思ってたから。
みぞっち 信号場として独立してても不思議じゃないレベルで離れてますもんね。ホンマ謎です。
1:45
『特急を作ったんですけども』
真ん中はグリーンだから、2等車ですかね
サムネイルも可愛い…
スーツさんの解説動画は最後まで聞きたくなります…
解除後の初乗りが気になる。
最近でも編成の転向でデルタ線区間がよく使われますね
カシオペアのE26が編成転向するのに、両端に機関車つけて常磐線と武蔵野線が交わるところのデルタ線使うのは結構有名です
あまり知られていない事例としては、京浜東北線のE233系が大宮工場に入場する際に、山手貨物線を経由して工場に行くわけですが、品川回りで行かないといけないため、編成の向きが逆になってしまうという問題があります
そこで大宮に到着すると、そのまま武蔵野線の武蔵浦和と西浦和の間にあるデルタ線を使って編成転向するそうです
最近では総武線で使っていたE231系を大宮工場で武蔵野線用に改造するときに、西国分寺と新小平の間にある国立方面への短絡線から一旦東浦和までいき、そこから大宮方面に行って編成転向した事例がありますね
「車両の進行方向が決まっていて、面倒な折り返しが必要」
三角ではないものの、名古屋近郊に何かそういうのがあった気がします。
勝田線の廃線跡は結構わかりやすくてオススメ
鉄道公園にはホームの跡なんかもあるので、一度来てみてくださいね!
今度、見に行く予定です!
コロナで延びてたのでそろそろ行ってもいいのかな笑
10:39
塚口は今でも折り返し設備と電留線があって朝の普通と昼の区間快速が始発着しています。
なお、北方貨物線がJR神戸線から分岐するのは塚本駅を過ぎて地下に加島駅がある所の直前です。
そのため、大阪駅以東で営業するキハ85などが塚本駅を回送として通過します。
初代ブルートレインの20系客車には三等座席車(普通座席車)もあったけど、そっちは回転式座席だったので単純な折り返しで済むようななったのは運転ダイヤとか作業とかが楽になったようですね。
めんどくさくて非効率な分職員の雇用が生まれてた、逆に言えばその分の人件費が国鉄には負担だったわけですよね
これは面白い!
確かに機関車の折り返しって当然やってた筈なのに今まで考えたこともなかった。
スーツさんの動画を観るようになって1年経ったら、駅名も用語も自分の知識が増えていてとても面白く観ることができました。😆💕✨
スーツさんの動画を見ると本当に勉強になるなぁ🎵😆
とても分かりやすい説明でした。素晴らしい知識ですね。本当に何でも知っているようですね。
1:47 ボールペンとキャップの使い方が天才過ぎると思ったら両方とも書けるタイプだった
ボールペンではないような・・・
ペンのやつわかりやすいなw
なんで東京と品川の間に東シナ海があんだろうと思ってしまいました。すみません。
面白いコトをおっしゃいますね🎵😂
私は南船橋を南シナ海と言っていたことを思い出しました
月額取れそうなくらいありがたい説明
遠隔授業笑
右側から ぬっ と出てくる スーツさんが いい。
Yユースケ????「ぬっ!?」
東京駅とかで忙しそうに座席を回してる
人たちを見てるとJRじゃないけど
京急2100形とか京王新5000系みたいに
自動で座席の向きを変えられるって
便利だなって思う。
京阪も、阪急京都線もあれは自動転換。
京阪なんか淀屋橋と出町は人降ろして、ドア閉めし、転換し、少し動いてドア開してたのよね。
鉄道の歴史において山口県が、結構出てきますね!
デルタ線を研究してみると結構面白そう。
青森のあたりとかなんであんなふうになってんだろって思った事あるけどこういう理由もあるのかぁ
塚口駅の所属である福知山線は長らく単線非電化でしたが、つばめやはとの機回しのために全線電化の25年前から電化された歴史があります。今でも塚口駅の脇には電留線が3本ほどありますね。
そこら辺の視聴者
直通快速が尼崎発着だった時代には塚口で折り返して宮原に入出庫したり塚口に留置でした。
塚本駅の位置が間違っています、この位置は尼崎です。
戦前の燕号は明石操車場で整備していたらしいです。
転換クロスシートとか回転リクライニングシートって、画期的だったのね
転換シートは明治時代からありましたよ。鉄道博物館の隅の方に実物が展示していますね。
@@くま吉-w5r
そんな前から有ったんですね
戦後の特急電車、特急気動車が最初かと思ってました
@@t3sutatra388 さん
2階のコレクションギャラリーにありますので、もしよろしければご覧下さい。
海外では未だに、圧倒的に固定式シートが多いですよ。
世界的にみても、日本は特別です。
現在ではわかりませんが、アメリカでは、終着駅に着く前に、お客さんを乗せたまま、三角線で方向転換をしてから、終着駅に入っていました。
そもそも日本人は三半規管が弱く、進行方向を向いていないと酔う人も多いそうです。
車や飛行機や船と違って線路があるから向きを変えるのも一苦労ですね。
別にめんどくさくもない。車両内を回って一々座席を回転させるより、回送中に編成ごと回転させられるので車内作業員が不要で省人システムである。今は、車掌室のボタン操作一つで座席の転換ができるのでどうという事はないが、全車両を一々人力で座席転換させていくほうが無駄である。編成ごとひっくり返すというのは実は非常に合理的な方法だったのである。
昔、博多駅での方向転換に、博多→勝田線(廃線)→志免駅→貨物短絡線(廃線)→酒殿駅→香椎線→香椎→鹿児島線→博多駅ていうルートを使ってたらしいです。
冒頭で特急列車はほぼ全国の都道府県で見れるとか言ってるけど、JRに限ると奈良県は特急が走っていないw
臨時特急まほろば号なら希にw
近鉄がいっぱい特急を走らせてるから。。。
新大阪からおおさか東線関西本線回って名古屋行き。
特急あすか、また出来ると面白い。
SLやまぐちでは展望車両最後尾関係なく普通に走っていますね。
マイテ49に乗った時は、津和野から新山口方面が最後尾になってました。
大変よく理解できました,ありがとうございます.
実はデルタ線をうまく使ってるのは武蔵野線(京葉線)説
2方向に乗り入れをできるし、編成の向き直しにも使える
「24時間テレビ・愛は地球を救う」Tシャツかと思ったが何時ぞやの湘南モノレールTシャツ
ヤレ具合から見て一日中着ているな
丹波口ではなく、二条まで行っていたとおもわれます。
推進でバックに機関車付ける例は東京駅でよく見られましたね。
わかりやすい!
毎度ありがとうございます!
三角線かー…これでも当時は高効率だったんですね。私は以前米原のスイッチバックで座席回転出来ず焦りました💺💦
ブルトレとか展望車のある車両興味はあるけど乗ったことがなく気になっていた話なのでとても面白かったです!
そんな簡単に特急を作ってしまうとは神か…
枇杷島、伊勢中川
こだまのデビューは、1959年ではありません。
あさかぜの20系客車と同じ、そして東京タワーと同じ、1958年です。
昭和30年の東海道本線時刻表見ると不定期特急さくら号(東京〜大阪間、展望車なし。)がいます。
戦前の特急さくら号は庶民特急で2,3等しかありません
固定クロスはシートピッチを詰められるっていうメリットもあったらしいですね…
今でも京急2100は客が自由に転換出来ないようにしてシートピッチを8何十mmかに詰めてる…
戦前の特急(富士・桜・燕・鴎・不定期燕)の方向転換は話によると三角線を使わずに全てターンテーブル回しをやったんです。
_人人人人人人人人人_
>おばけ こわくない<
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
京都の「2」の線路、かつては姫路や和歌山から嵯峨野線に直通する「嵯峨・嵐山ホリデー221」という臨時列車があり、結構乗車することが出来ていました。
田端〜三河島の連絡線も「ホリデー快速ときわ鎌倉」が使っていて、乗った事あります。
2は今では七条通りの豪華な歩道橋やな。
カシオペア、旧トワイライトエクスプレスも、札幌ー岩見沢ー苫小牧で三角回しをやれば、展望個室が常に最後尾になってた。
いっそ下りは海線、上りは山線を走らせれば ・・・
いつも楽しく拝見しております。神戸行きの編成回しの件で、参考になる書籍がありますので、紹介いたします。
雑喉謙氏著「神戸の鉄道-随走記-」(1981年発行)の「銀河の哀歓」という項目で、急行銀河が出来たときの回送について「神戸→鷹取→神戸→宮原/宮原→神戸→鷹取→神戸」と書かれておりました。当時、まだ複線だった鷹取駅に転車台と下りから上りに入るための立体交差があったとのことでこのルートとなったようです。これと大阪近郊の配線を活かすと編成回しもできるのではないかと思います。
これからも楽しい動画期待しております。
つばめが福知山線使って三角線回ししてたの初めて知った
三角線と言えば、山陽本線英賀保駅の構内にあったみたいなんですがご存知でしょうか?
全然資料がなくて何に使ってたのか分かりませんが、国土地理院の古地図で線路があったことが確認できますよ。
興味深い話で最後まで楽しんで拝聴させていただきました。
デルタ線での方向転換作業は展望車とスハ44系あってこその話ですね。戦前のスハ32系時代にも展望車の為に方向転換があったし。
『かもめ』も『はつかり』もスハ44系の為ですね。昔はそういう作業をいとわなかった、ということでしょうか。
でも上りと下りで編成の向きが違うと荷物の扱いなどはテルハの位置が変わらないだけ大変だったでしょうね。
うろ覚えですが大鉄局と東鉄局では電車の向きが異なっていたと思いますが、配置転換の際には電車でもデルタ線でひっくり返した…という話も聞いたことがあります。
お召し電車は事前に伊勢中川で向きを変えてますね。一般車両の奈良線から大阪線への転属も伊勢中川で向きを変えますね。東行きが上りの生駒山と西生きが上りの青山越で坂の向きが違うとかで。
三角線 「A列車で行こう」の古い作品では、ちょくちょくお世話になったな
利用目的は違うけど
座席転換の問題もあったと思いますが、つばめ、はとは展望車(前後につないでない!)が両端になかった理由もあったんでしょうね。
わかりやすくていいですね。
昔はこんな事してたのかと思うと転換シートってそうとう画期的なものなんだなぁ…
今、神津恭介シリーズを読んでいたので、これ神津先生が乗ってた特急だなぁと思いながら観てました笑
ペンが7ハウステンボス号!!
内田百閒の随筆で読んだ一等車二等車三等車の話を図解付きで聞けて楽しかったです。
特急はるか は関西空港駅で座席が車掌さんのスイッチで自動回転します。時代が進みました
京阪8000系もやな
名鉄も空港に着くとやりますよ 他にも名鉄岐阜や、新鵜沼でもダイヤが逝っとけではない時はやってます
お京阪は先代の3000系もな。
先々代の1900系は知らん。
サザンプレミアムも。
昔は手間だらけだったんですね~
すごく前の話ですよね、なんか、線路が大崎に残っていて、なんだろ、って思ってたんです、謎が解けました!!
小学校日光の修学旅行のとき蛇窪回りではなく行きも帰りも品川で折り返してました。
神奈川県民でしょうか?
わたしもそれでした、なんで武蔵野貨物経由じゃないんだろって・・・。
ゆかわあきら そうです!記憶は定かではないですがもしかしたら川崎からも別の学校か乗降していたのかなと思います。ちなみに中学は新横浜⇆京都0系でした🚅
@@ぴのこ-g7f 日光臨の時は藤沢、茅ケ崎市内の小学校だけでしたので、茅ケ崎、辻堂、藤沢を出ると、品川、宇都宮のスイッチバック以外停車なかったと思います。
京都のは、私は小田原からこだまの0系でした、いまのように「修学旅行」編成でなく、定期ダイヤでグリーン車に当時の女性アイドルが乗っていたようでサイン貰いに行ってた人いました。
日光の修学旅行は川崎から乗ったから、品川と宇都宮でスイッチバックしてた記憶がある。
かつてはC53やC62が活躍していた頃の特急つばめを思い出しますね🎵
入り方がすこ
おばけこわくないがかわいい
北陸新幹線が開業前後に当時のサンダーバードのグリーン車の方向を反対にする方針が取られ、わざわざ金沢から回送で大阪から北方貨物線を経由してまた金沢に帰る回送がありました。
7:20、くまモン西大井は草
サンダーバードは塚本を通過した後に北方貨物線に入るはずでは…?
そもそも北方貨物線って塚本の先から分岐しますよね
三角線は元塚本信号場、現在は運転取扱上塚本駅の構内なので間違いではないです。
@@sj032842 東西線が地下に入ったあたりから塚本駅構内だもんなww
おおぉ〜つばめ はと 平和は大阪駅から、おおさか東線(淀川貨物連絡線)の前後にデルタ線っぽい名残あったし、片町線とか大阪環状線とか使ってたのかなぁって思ってました。
カラーペンでの模式化が草
人差し指どうしたの?お大事に
ホワイトボードに未だ残る
よこかる
がいい意味で気になる。。。
Shin Endo 様
「よこかる」なら鉄には通じますが今度は
「おばけ こわくない」
と書かれているんですが…
「よこかる」以上に気になってしまうのですが…
なんば線尼崎で増結をしていたのですが今年ダイヤ改正で尼崎の増結をやめて最初から車両連呼してからはそのままで行けるようになりましたかホーム改造工事をしたりして大変でした芦屋ホーム改造工事ができなかったで通過駅になってしまいました
9:19
間違いなく「黒塗り」に煽られますね。
(実際はネイビーブルー)
こういうことに追求して解説するの楽しいです。
てっきり鉄道ピクトリアルとか熟読してるのかと思ってましたけど、ネット情報だけでここまで解説できるんですね。凄いわ。だから、間違いがあるかもと言ってるんだ。誠実だね。
車輌や旅についても、鉄道ジャーナルとか鉄道ファン読み尽くしてるのかと思ってた。
効率よく、やっぱ頭いーねー。
私は雑誌は立ち見するけど、文字多過ぎて買ったことないです。とほほ。
その黄色いシャツはどこで手に入りますか?
湘南モノレールのやつです
大船駅か湘南江の島駅の売店で売ってる説。
この内容、難しいのかな。マニアでないので基準がわかりませんが、私はさくっと見せていただきましたけどね。
車両基地および操車場の役割がよくわかりますたわ。洗車や点検だけではないですね。
昭和の終わりに、近所のある場所で、よくDD51が単独で右往左往してました。当時はDD51の存在が日常だったけど、今では思い出となりました。
尾久駅と田端駅と三河島駅が走行可能って、面白いですね。
蛇窪も探してみたいですね。
ななつ星もひとつの運行が終わって博多駅に戻ると前後逆編成になるので運行休日に大回りで編成の向きを入れ替えて次の運行に備えてなかったですか?
リニアいいですね〜
1:44「ちょうどここにあのー、特急を作ったんですけども」
JR九州の三角線かと思った...
それは「みすみせん」😄
だめだ、おばけ こわくない が気になってしまう...
JRではなく国鉄塚口駅、故郷で懐かしい。駅のホーム以外に沢山の側線がありましたよ。国鉄伊丹駅はホームしかなかったような。当時、伊丹駅に石炭つんであったからSL走ってたのかな。
三菱電機のでかい工場があるし、森永の工場もあるからなぁ。
スーツ「ほとんど全ての都道府県で特急列車が運行されている」
沖縄県は当たり前だが広島県も在来線特急は現在運転されてないはず…
奈良県ェ…
蒸気機関車の前後を入れ替える回転台を備えている駅が有りますが、
大都市圏では無くなったでしょうか。
特別急行ならでのサーヴィスですね。戦前は転車台を使っていたと聞きますが、詳細は分かりません。EF55の為に転車台上に架線があった話しも聞きますが、やはり戦前中の資料を探すのは大変です。
青森にも、デルタ線ありますね
なんか塚本の位置が違うなと思ったら、みんな指摘してた笑笑